情報デブ

最近腹が出てきてる様な気がするので、ちょっと気になってるんですが、そーいう身体的話じゃなくて、情報デブという話。


昨今インターネットで大量の情報が掲載されて、また個人のblogとかメルマガなんかでも物凄い量の情報が発信されてるのは周知の通り。

そうやって大量に発信されている情報も、RSSつかうとかソーシャルブックマークつかうとかニュースサイトチェックするとか、そういう大量の情報をある意味効率的に収集する方法も考案されているわけで、その気になればそれこそ無限と言っていいほどの情報を集めることができるようになってきた。

情報なんてものは集めただけでは無意味で、その情報を個々に評価してこそ情報に意味が与えられて有用性が発生する。 (ソーシャルブックマークはそう言う意味では情報の評価に対する集合知(判断?)みたいなものなのかも知れないけど、全体の評価=個人の評価が成り立つわけではないから、近いけどはずしてるか。 前段階のフィルタとしては働いてる?)

そうやって評価された情報は情報の種類によって分類されて、蓄積されていくわけだけど、情報を蓄積するだけで出力することがなければ、それは情報デブになるわけだ。


もろに自分の話。


上なるものは下なるもののごとし、何事にせよ入ったものは出さなきゃならない。 インプットとアウトプットのバランスの問題やね。 蓄積する一方で出さないなら要するにそのため込んだ情報は無意味だったという事になる。

とはいえ、知っている情報は探し出すことができるけど、知らないことを探し出すことはできないわけで、今は無駄かも知れないけど、あとで必要になったときに、以前こういう情報をみたことがあるというのなら、印象などを頼りに探し出すことはおそらく可能だけど、そういう情報があるという事を知らない場合には探すことはできない。(探そうともしないかも知れない)
もちろん情報はリンクしているので、情報を辿って未知の情報を発見することは可能だけど、知っている情報を検索することに比べて手間もかかるし、正確さも期待できない。 リンクを辿る回り道が楽しいというのは多いに同意できるところだけど。


もう1つ、情報は自分で蓄積するんじゃなくて、どこに自分の求める最新の情報が蓄積されているか、を知ることが重要。 ため込まれて更新されない情報はすぐに陳腐化する。
情報は発信される場所に集まる。 自分がニュースサイトなんてやってるのはこれを実証したいからというのも理由の1つだった。 これは身を持って実証することができたと思う。


そんなことを考えながら、今日も1000の砂粒から1粒の砂金を探し出すように情報を集め続ける。