知はいかにしてにして「再発明」されたか

インターネットが普及することにより、知識を覚えておく必要はない、必要なときに検索すればいい、という言説が一部でいわれていたが、得た知識をどのように解釈し自分のなかでどのように位置づけるのかという場合において、必要となるのは関連させることの出きる知識の量であり、それにはやはり詰め込みであれなんであれ自分の中に知識を持っておくことが必要だと思う。


さて、今の時代その知識はインターネットを使って、何に関することでも、いくらでもほぼ無料で手にいれることができることができる。 このようにして自分達が自由に手にいれている知識には、今まさに研究論文が発表された知識から、トマス・アクイナスの神学論、ユークリッド幾何学、それこそ紀元前の人が文字を持つようになる以前、口伝で伝えられてきたような知識もある。


この本では主にヨーロッパ地域において、このような知識がどのように生産、流通、管理、そして再発見されてきたのか、その流れを大きく7つにわけて俯瞰している。

第1章 図書館 ――紀元前3世紀~西暦5世紀
第2章 修道院 ――100年~1100年
第3章 大学 ――1100年~1500年
第4章 文字の共和国 ――1500年~1800年
第5章 専門分野 ――1700年~1900年
第6章 実験室 ――1770年~1970年
結論 ――そしてインターネットへ

まず知識は口伝から書かれた言葉として、パピルスなどに記録されるようになる。 そのようにして書かれた知識を集積する場所として図書館が登場してくる。 その図書館は西ローマ時代には保護されることなく衰退していく。 そして知識の管理人として修道院が登場し、図書館が持っていた知識の一部を引き継ぐことになるが、修道院はキリスト教に関連する知識を中心に蓄積したため、それ以外の多くの知識は失われていくことになる。 知識は長く辺境にある修道院で伝えれていくが、人口の増加と共に都市が発達し、都市に人が集まると共に、知識も集まり、その知識を伝え討論する場として大学が生まれる。


こういう西洋に置ける教育機関は大学が一番最初に生まれ、その次に大学の学生が初等教育を行う場が生まれ、その間を繋ぐものとして高等教育機関が生まれるという発展をしてるんだね。 日本の場合は初等教育機関としての寺子屋が最初なので、その辺の対比は興味深いところ。


そして大学の次に知識を生産、流通させるものとして、文字の共和国というものが登場してくる。 この文字の共和国という概念はこの本でも聞き覚えがないだろうと書いているが、この時代において知識人は手紙を交換することにより、知識の流通とそこからの発見などがおこなわれていた。


この時代においてはグーテンベルグの活版印刷なども始まっていたが、知識人の間で重要視されたのはこのような活版印刷でつくられた本ではなく、手紙であったらしい。


そして学問の深化にともない、哲学、法学、医学、神学を主に教えていた大学で、分野の細分化が起り、専門分野が登場し、によるセミナーにより伝えられていくことになる。


このころは哲学に様々なジャンルの学問が含まれていたため、高度な専門家を意味するドクターの表記の、Ph.D はドクターオブフィロソフィーの略で、哲学博士を意味してるんだね。 天地無用で天才科学者を哲学士というのはこういう理由だったのか。


このころから化学が始まり、知識は実験室で発見され、そして社会で応用されるようになる。


このようにして流通し、発見されてきた知識はインターネットに乗って多くの人が手に入れられるようになった。


インターネットのおかげで知識は本当に一般民衆に解放されたといっていいと思うが、そうなるまでは知識は一部の専門家、ごく一握りの限られた人たちの間でしか共有されてこなかったんだね。


こうやって知識の発見と流通の歴史を俯瞰してみると、知識というのは多くの人の間で流通しているときこそ、大きく発展していくというのが良く分かる。 インターネット時代ではこの流通速度は更に上がっているので、さらに多くの知識が発見され流通していくことになるとおもうが、このインターネットによって担保される知識もいずれはまた別の形にとって変わられていくことは歴史が証明している。


それがいつ、どのような形で行われるかはまだわからないが、それはいつか必ずおこなわれることであり、そのときのために知識というものの歴史を振返っておくのは必要なことだと思う。


知はいかにして「再発明」されたか―アレクサンドリア図書館からインターネットまで
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