オタク論・オタク史
京大で行われていた、「オタク論・オタク史」という講演会を聞いてきた。
講演者は、某所では有名な米澤嘉博さんとヨコタ村上孝之さんで、第一部講演、第二部パネルディスカッション各二時間という形で行われた。
第一部の講演は米澤さんが60年代からの漫画、アニメと言ったサブカルチャー的なものがどのような経緯を辿って発展、普及していきそれを受け取る側はどのように受け取ってきたのかというような事をその歴史をその場で見続けてきた人の視点で、そのときそのときの歴史的な事柄と絡めながら一通り解説して、その後ヨコタ村上さんが米澤さんの話に対する捕捉や自分の意見、それからいくつかの質問という形で行われた。
その中でとくに興味深かったのが、60年代、70年代のカウンターカルチャーがアメリカで発生したときには、社会的通念として強力に制約を掛けていたキリスト教などに対する反抗として現れたために、ドラッグカルチャーやフリーセックス、そしてヒッピーといった激しいものへとなっていったのに対して、社会的な制約が緩かった日本ではぬるい反抗としてオタク的なものであるアニメや漫画に傾倒する人々という形で現れたと言うところ。
この論が正しいかどうかはおいておいて、外部からの制約が強かった欧米ではそれに反発し、制約が緩かった日本では内向したと考えると、なるほどなと思わせるものではある。
この部分とは違う部分での話ではあるが、欧米と日本でのロリコンにはまる人たちの違いという話で、欧米では50代とか60代のおじさんがロリコンにはまるのに、日本では20代の若者が、ロリコンにはまるという話があり、それも上と同じ文脈で考えると、欧米では背徳による快楽であり、日本では自信がないための逃げなのではないかと思ったり。
それとマンガやアニメ、映画などが単行本やビデオ、DVDなどになることにより、アーカイブ化され、古いものが今でも手にはいるために時間が混乱され同時代性が失われ、時代のメディアとしての力が失われつつあるという話。 米澤さんはそういう意見だったが、ヨコタ村上さんは一般においてはアーカイブされたことにより満足し、その内容までは普及していないのではないかという意見だった。
その昔、雑誌などでは単行本になることが少なく、その雑誌が手元に残らなければ、残るのは自分の記憶だけという時代があり、それから今のアーカイブ化されいつでもそれらが手にはいる時代になったという。 同じように映画の評論において、どれだけ多くの映画を見てそれを覚えているかというのが重要だった時から、アーカイブ化されいつでも参照できるようになり、映画の評論が変質したという。 このへんちょっと自分の理解不足…
まぁそういう話を聞いて、自分はさらにアーカイブ化された情報をさらに自由に参照、編集、流通することができるようになってきた自分達デジタルメディア世代は、そのようなメディアに対する向き合い方がまた一回り変わっていると思う。 それはまだ始まったばかりだし、それがどのようなものになっていくのかはまたあとの時代でそれの専門家が論じるだろうけど、どのように進んでいくのかはとても興味がある。
まぁ大まかに自分の面白く思った部分はこんなところで、あとは第二部なんだけど、これは第一部が終わったあとに参加者から質問表を回収して、それを司会が読み上げていき、それに対して講演者がいろいろと返答するという形で、適時挙手による質問などを交えながら進められた。
質問内容はコミケに対するものや、好きなマンガ、30年後はどうなっていると思いますか、なんかがわかりやすい質問で、京大でやってるだけにまぁ難しい質問する人もけっこういたんだけど、いずれも論旨が明確でなく、こっちが聞いていても何が聞きたいのか良くわからない質問が多かったし、講演者の方も聞いた内容から自分で問題を設定して、こう言う理解でいいかと聞いてから、それについて話をするというような状況だった。 そのへんあまりメモしておこうと言うような質問もなかったので、メモしてないし、それほど記憶にも残っていない。 一番面白そうだったイタリアビエンナーレでの日本館の様子などの部分では残念ながら眠くて、ろくに聞くことができなかった。
まぁそんなこんなで4時間の講演を聞いてきたのだけど、面白くいろいろ考えさせられるものだった。
ぅぅ、この日記書くのに1時間半も掛った…
適当に自分のことを羅列するのは楽だけど、やっぱこう言う内容は難しいね。
ちなみに京大にははじめて入ったんだけど、さすが旧帝大、うちの大学も結構いいとは思ってたんだけど、風格が違うわ。